自分のルーツを探る(4)一世はなぞの女性、20年後に親子引き離しへ


前回までの記事
0.家系図をゲット
1.先祖の想いを観る
2.先祖と地名から自分を知る
3.先祖は刑事


途中調査結果が届きました。父方(玉那覇)のルーツです。


◆玉那覇の家系図

「赤田村下川」というところが本拠と思われます。 おそらくこの古文書は、「那覇市歴史博物館」に収録されているもののコピーだと思います。

 http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/item6/4925


「一世かま/玉那覇にや/元祖赤田村下川ら之大筑被相勤候玉那覇筑登之親雲上三男家」 → 「玉那覇にや」という人が玉那覇氏の直接の先祖のようですね。「一世かま」は女性の名前だと思います。 → この系譜の題は 「玉那覇筑登之親雲上」の三男の系譜で、「大筑」を勤めていた人物の家柄 という意味です。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%99%BB%E4%B9%8B%E8%A6%AA%E9%9B%B2%E4%B8%8A 


 

「筑登之親雲上」は琉球王府の下級士族を意味します。 話の流れとしては、「玉那覇筑登之親雲上」の三男が、『大筑』の任務を務めていて、その子孫である御家は、大筑の配下である「筑佐事」を仕事としていた、ということだと思います。


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 一世が「かま」となっているのはすこし気になります。 「歴史・伝説にみる沖縄女性」(2005比嘉)という書籍に、こんな話が載っていました。 『王朝時代は、島から首里・那覇へ移住することは(嫁入りでも)禁じられていた。那覇の玉那覇は久米島のカマと結婚して那覇に連れて帰り、子も生まれた。が、二十年後後に発覚してカマは強制的に帰され、玉那覇は寺入り四十日の処罰となった』


 →玉那覇が妻としたのは久米島の娘で、それは公式には認められていなかったので、1世が”かま”となっている可能性がありそうです。  

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◆感想
結婚し子ども出来た。20年後に引き離されるカマ。母として子に会えなくなった辛さ、そして夫である玉那覇も最愛の妻に会えなくなり、自分もお寺に処罰に入るとは・・・。なにか、今の自分の環境に近いです。ご先祖様は僕に何かメッセージを送りたいのか、シンクロして少し驚きを隠せない一方で、やっぱりなぁ~、っという感じもあります。これまでまったく神仏に興味がなくなった自分。いろいろあって、神社からスタートしたけど、琉球とお寺、先祖と仏が繋がってきそうな感じです。


その後、二世、三世・・・と続き、計算上、僕は十世だと思われます。

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