自分のルーツを探る(6)完成!先祖の教科書風



◆内容ピックアップ

・もともと沖縄における苗字(家名)は本州とはやや概念が異なる。 

・上級士族などが領地を得ると、その地名を「苗字」のように用いるのは本州と共通している。

・ところが領地替えが生じると、苗字が異なることが多く、兄弟間でも違う場合があった。

 ・下級士族の場合は名目上の地名をもらったことが多かった。 


 「玉那覇」 

 ・いくつかの系統の「玉那覇氏」があり、それぞれ血縁上のルーツは異なる可能性がある。姓が違ういくつかの玉那覇氏がみられる。 

 ・本来の「玉那覇」は名島尻方南風原間切の玉那覇村で玉那覇大屋子がルーツ。

・明治初年には10ほどの異なる系統で「玉那覇」を名乗ったものがあった。 

 ・御家に繋がると考えられるのは、大筑を務めた玉那覇筑登之親雲上の三男の家系で、初代は「玉那覇にや」と思われる。 

・嫡男の家系ではないと思われ、のちに大筑(警察の長官)に務めた筑佐事(刑事)の家柄として下級士族であった。 


 「大城」 

・直接的には「大城」は地名に由来する地名姓である。 

・ただ、まだ琉球王朝が統一される以前に、島内の各地に興った豪族である「按司」たちのなかに「大城城」を拠点とする「大城按司」がいた。 

・大城按司は敵対する島添大里按司に破れたが、その子孫が女系で初代琉球王の「尚氏」と繋がっている。 

・初代琉球王の尚巴志の母が、大城按司の娘だという。

・大城按司が活躍したのは鎌倉時代のことなので、そこからどのように繋がるかは定かではない。

・ただし、江戸時代の享保年間に、南城市玉城の奥武島の大城氏が新田開発をした、という記録があるため、もともとこのあたりで勢力を持っていた大城氏であれば、大城按司の子孫の系統だと考えてよいと思われる。 

・江戸時代から「大城」の名乗りを使うことができるのは、おそらくそれなりの身分の一族であろうと考えられるからだ。 


本編はこちらの PDFファイル(33ページ)にて。玉那覇氏(父方)p22、大城氏(母方)p19。

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