自分のルーツを探る(6)完成!先祖の教科書風
前回までの記事
0.家系図をゲット
1.先祖の想いを観る
2.先祖と地名から自分を知る
3.先祖は刑事
4.父方(玉那覇)一世は不運
5.母方(大城)は初代琉球王と関係
今回で完成です。➡ あなただけの小説日本史「玉那覇氏(父方)p22、大城氏(母方)p19」。
◆内容ピックアップ
・もともと沖縄における苗字(家名)は本州とはやや概念が異なる。
・上級士族などが領地を得ると、その地名を「苗字」のように用いるのは本州と共通している。
・ところが領地替えが生じると、苗字が異なることが多く、兄弟間でも違う場合があった。
・下級士族の場合は名目上の地名をもらったことが多かった。
「玉那覇」
・いくつかの系統の「玉那覇氏」があり、それぞれ血縁上のルーツは異なる可能性がある。姓が違ういくつかの玉那覇氏がみられる。
・本来の「玉那覇」は名島尻方南風原間切の玉那覇村で玉那覇大屋子がルーツ。
・明治初年には10ほどの異なる系統で「玉那覇」を名乗ったものがあった。
・御家に繋がると考えられるのは、大筑を務めた玉那覇筑登之親雲上の三男の家系で、初代は「玉那覇にや」と思われる。
・嫡男の家系ではないと思われ、のちに大筑(警察の長官)に務めた筑佐事(刑事)の家柄として下級士族であった。
「大城」
・直接的には「大城」は地名に由来する地名姓である。
・ただ、まだ琉球王朝が統一される以前に、島内の各地に興った豪族である「按司」たちのなかに「大城城」を拠点とする「大城按司」がいた。
・大城按司は敵対する島添大里按司に破れたが、その子孫が女系で初代琉球王の「尚氏」と繋がっている。
・初代琉球王の尚巴志の母が、大城按司の娘だという。
・大城按司が活躍したのは鎌倉時代のことなので、そこからどのように繋がるかは定かではない。
・ただし、江戸時代の享保年間に、南城市玉城の奥武島の大城氏が新田開発をした、という記録があるため、もともとこのあたりで勢力を持っていた大城氏であれば、大城按司の子孫の系統だと考えてよいと思われる。
・江戸時代から「大城」の名乗りを使うことができるのは、おそらくそれなりの身分の一族であろうと考えられるからだ。
本編はこちらの PDFファイル(33ページ)にて。玉那覇氏(父方)p22、大城氏(母方)p19。
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